『著作権法がソーシャルメディアを殺す』(城所岩生著)を読んで

著作権の疑問について時折お世話になっている、城所岩生先生から『著作権法がソーシャルメディアを殺す (PHP新書)』をご献本いただきました。難解で複雑なことだらけの著作権まわりの疑問について、ページをめくるたびにストンストンと音を立てて腑に落ちる感が内奥に体積する良書です。
以下、印象に残るフレーズを抜き出し、自分なりの「思い」を付記しました。

「権利者のお目こぼし」「容認された利用」

私(弊社)自身コンテンツの権利者でもあることから、本書で言われているルールを超越した部分での「権利者のお目こぼし」「容認された利用」という世界観はとても理解できました。権利者というのは、保持、管理している権利から得られる利益を最大化するように努力するのが普通です。ならば、「ここは目くじら立てるより、放置しておいたほうが結果的には利益になる」と判断すれば、戦略的に「お目こぼし」します。

本書で触れられているように、二次的創作活動ビジネスを権利者が「お目こぼし」することで、コミケ=同人誌がアマチュアのマンガ・アニメクリエーターの孵化器として機能し、クールジャパンなコンテンツとして育っているのは周知の通りです。

「お目こぼし」するのは、権利を主張して排除、あるいは短絡的な利益確保に向かうより、長期的に見て権利者自身に利益があるからですが….、
(1)将来の金のタマゴの育成
(2)二次創作物がもたらすプロモーション効果
あたりを期待してのことでしょう。外部から見る限りは、マンガ・アニメ業界の発展に好循環を生んでいるように見えます。
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2013年6月20日、「VAN HALENからのお知らせです」という文言で始まる、あるツイートが話題になりました。「ウドー音楽事務所」のアカウントでつぶやかれたそのツイートは、「バンドからの希望によりVAN HALEN公演に限り写真/ビデオ撮影がOKになりました」とありました。公演終了後には「撮影した写真や映像をTwitterやFacebookなどのSNSにアップしてほしい」といった趣旨のメッセージも流れました。同年11月のポール・マッカートニーの公演においても、スマートフォン等での撮影が、正式に許可(動画はNG)されています。

米国を中心とした海外のライブでは、プロ機材を持ち込まない限りは、スマホなどでの撮影を解禁する動きが定着しており、YouTubeやFacebookには、客席から撮影した大物アーティストの公演動画が多数存在します。

まさに、これらの例は、ソーシャルメディア全盛の今、撮影禁止で締め付けるより、Twitterやfbでの拡散によるプロモーション効果を狙ってのことで、権利者としては、「権利者のお目こぼし」で「容認された利用」を促す方が利益があるとの判断です。

「アメリカの判例を読んでいると新しい技術を育てようとする姿勢が伝わってくる判例に遭遇することがめずらしくない」

本書には、著作権がらみの裁判における判例の日米の比較が事例としてたくさん紹介されています。「MYUTA事件」「ロクラク/まねきTV事件」「ウィニー事件」などです。世界に誇れる技術やサービスが登場しても、「著作権」とそれに基づいた「判決」の壁に阻まれてビッグチャンスを取り逃がし国家的な損失があるのでは、という内容です。

Apple vs サムスンの特許抗争に関係しているある国際弁護士が私に言いました。「日本の裁判官は、”社会の安定”という方向性に根ざした判決を下す傾向にある」と。これが事実であれば、新興勢力とエスタブリッシュメントの争いとなったときは、エスタブリッシュメントに利がある判断が下されがちになるのもわかります。

それと、誤解を恐れずに言うと、日本の裁判官のIT音痴にもその原因があるのかもしれません。松下アイコン訴訟では、一審の東京地裁でジャストシステムが敗訴しました。普段からパソコンやITに慣れ親しんだ人からすれば、なんでそんなものが特許なの? でもって、それで敗訴するって変じゃね?と誰もが思ったことでしょう。

一昨年、ジャストシステムの創業者である浮川夫妻と会食した際、「あの裁判では最終的には勝訴したけど、そのために多大な労力を費やさなければならなかった」と、機会損失に対する苦渋をにじませておられました。「ウィニー事件」だってそうですよね。最終的には、金子勇氏の無罪が確定しましたが、金子勇氏が著作権侵害行為幇助の疑いで逮捕・起訴されたことにより、その裁判に労力を傾けなければならなかったことによる損失については、本書でもページが割かれています。

「”著作権ムラ”がTPPを著作権強化のための秘密兵器に使う恐れがある」

「非親告罪化」「保護期間延長」という反対の声が多かったために法制化が実現できていない「ムラの悲願」を、TPPを利用し、「ポリシーロンダリング」というウルトラCを使って法制化する恐れがあるそうです。「ポリシーロンダリング」というのは、国内で法制化に失敗しそうな案件を、「条約」経由で日本に持ち込むことで、ガイアツ的なやりかたでなし崩し的に立法化するといった意味合いです。「既得権」を死守するためなら、手段を選ばない人達ですから、あり得る話です。

本書を読んでいて思うのは、レガシーな仕組みの中で活動している人々の「既得権」への執着がいかにすごいかということです。既得権を失うことは、死活問題なので、それは当然なのですが、著作権を巡る新旧の対立や軋轢を見るにつけ、「インターネット」により消滅・衰退する業態や仕組みを必死に守ろうとする人々のなりふり構わぬ抵抗ぶりには、昨今の薬事法改正の議論を見ていてもあきれるばかりです。

SFチックな妄想ですが、今この日本から「既得権」という概念が消滅したら、産業面のあらゆる分野で世界をリードする経済大国に返り咲けるのではないかと思ったりもします。ジャパン・アズ・ナンバーワン再びといったところです。

既得権について…平成維新を実現するために、今、お持ちの既得権をゼロリセットできますか?

詳細は忘れましたが、以前読んだあるレガシー系の有名企業のトップが経済誌に寄稿した文章を思い出します。その経営者は、「日本は、必ず復活する」と希望に満ちた力強い言説を唱えていらっしゃいました。その理由として、「日本は、明治維新を経験しているから」とありました。あれだけの大変革をやってのけたのだから「大丈夫!」というのです。

まあ、レガシーな感覚の持ち主が好みそうなお話ではありますが、この経営者は、大切なポイントが思考から抜け落ちています。「明治維新」は、それまでの、武家社会の既得権をゼロリセットしたことで実現したわけですね。この経営者のレガシー企業は、おそらく様々な既得権の上でビジネスをしている部分も大いにあるのは、想像に容易いわけです。

「じゃあ、あなたは、平成維新を実現するために、今、お持ちの既得権をゼロリセットできますか?それであなたの経営する会社のステークホルダーは納得しますか」と問いたい心境でした。昭和20年の敗戦もそうですよね。GHQの指揮の下の農地改革や財閥の解体という既得権のリセットを経たからこそ、この国は、高度成長へと向かうことができました。

今回、『著作権法がソーシャルメディアを殺す (PHP新書)』からは、著作権まわりの問題だけでなく、その向こう側にある「既得権」についてもふか〜く考えさせられました。良書です。一読をお勧めします。

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