キース・ジャレットの『ソロ・コンサート〜ブレーメン/ローザンヌ』

「キース・ジャレット」

この人の名前を聞くと僕の内奥は、恥ずかしいような懐かしいようなあまずっぱいような、言語化不可能な感情に満たされる。

先日「キース・ジャレットさん、コンサート中に演奏数回中断」というニュースを目にして、ハッと思い立ち、約40年ぶりに『ソロ・コンサート〜ブレーメン/ローザンヌ』が聴きたくなりCDを購入した。

僕は、高校生のときに3枚組LPのこのアルバムを購入した。当時、ロック好きの友人達の間でキース・ジャレットのこれがなぜか流行った。降ってわいたよう半径10メートル圏内のブームだった。

無理して背伸びしていたなあ、と思う。だって、カーペンターズ→サイモン&ガーファンクル→ブリティッシュロック/プログレッシブロックという音楽聴取人生を歩んできた高校生が、いきなりキース・ジャレットはないでしょう。ジャズなどいう音楽はそれまで聴いたこともなかった。

【追記】と、思っていたら、僕とほぼ同い年の日比野克彦さんがラジオで「キース・ジャレットを背伸びして聴いていた。仲間内でちょっとしたブームだった」というような趣旨の発言をしてた。当時は、みんな背伸びしてキース・ジャレットを聴いていたのね。

ジャズピアノとはいえ、目を閉じて眉間にシワを寄せながら聴く小難しいスケール応酬的なハードジャズではなく、メロディアスでニューエイジ的なパートもあるので、幾分かはとっつきやすい面もあるのだが、それでもロック好き高校生のレコード棚でこの部分だけが異端で異質で異次元の光を放っていた。

3枚組LPで豪華な箱入りこのアルバムは、高かった。値段を覚えていないのだが4500円とか5000円だったろうか。1ヶ月に1回2000円のLPを購入するのがやっとの高校生が気軽に買えるシロモノではない。

レコード屋でこのアルバムのボックスを手に取り、買う決断ができぬままゆうに1時間はにらめっこしていた。見るに見かねた普段は口数の少ない寡黙な店員が「そのアルバムは、いいですよ〜」と背中を押してくれなければ、さらに1時間は悩んでいただろう。

他にツェッペリン、パープル、クリムゾンなど、お好みど真ん中の欲しいLPが山ほどあった。それら直球ロック系2〜3枚の重みと、音楽的な背伸びをしてみたいという未来投資型の思いが、幾重にも連なる峰から渓谷のごとき心のヒダを上下しながら、1時間にもおよぶ葛藤の時を沸騰させていた。

結局、買った。だが、僕にはまだこのアルバムは早かった。最初のうちは、オトナになりたくてせっせと針を落としてはみたものの、高校生ハードロッカーにはあまりに退屈だった。いや、その高度な音楽性がまったく理解できなかったのだ。聴く頻度は徐々に少なくなり、3ヶ月もしたらすっかり棚から引き出されることはなくなった。

1年後、中古レコードショップの買い取りコーナーにこのアルバムを手にする高校生がたたずんでいたのは僕です。キース・ジャレットが、ジェフ・ベックの『ブロー・バイ・ブロー』に化けた瞬間だった。

40年を経た今、このアルバムを聴き直すと、その高度な音楽性を依然として理解できない自分の成長性のなさに、あきれるが、当時とは異なりそれなりに楽しめて聴ける。でも、咳払いをしただけで演奏者が怒って引っ込むようなライブはちょっとやだなあ…。

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